平家物語の現代語訳・品詞分解<祇園精舎・扇の的・木曽の最期>

 

 

たま吉
「平家物語」の現代語訳と品詞分解についてニャー

 

と思っている高校生のみなさん!

今回は「平家物語の現代語訳・品詞分解<祇園精舎・扇の的・木曽の最期>」についてみていきますよ。

 

 

平家物語の品詞分解・現代語訳

 

 

✓内容

「平家物語の現代語訳や品詞分解」について知りたい高校生や浪人生向けの記事です。

 

✓対象となる人

「平家物語」が古文の定期テスト範囲になる高校生

 

✓記事を書いた人 

西井佑一(にしいゆういち) 愛知県豊橋市の個別指導塾で10年以上指導してきた教室長

 

 

 

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「平家物語」の内容は?

【動画】「とよはし練成塾」塾長が話す!定期テスト古文のおすすめ勉強法は?

 

 

たま吉
「平家物語」とはどんな話なのかにゃー?
モモ先生
平氏の繁栄と没落について書かれた軍記物語ですよ。

 

 

ア「平家物語」の内容は?

→平氏の繁栄と没落について書かれた軍記物語

 

平家物語とは、作者不詳の歴史物語で鎌倉時代にできた軍記物語です。

(軍記物語とは、歴史上の合戦を題材とした作品のことです。)

平家物語とは平安時代に台頭した平氏の繁栄と没落について書かれています。

 

あらすじとしては、

・保元の乱、平治の乱で平氏が力をつける
・平氏政権に武士が不満を募る。源頼朝を中心に平氏打倒の動きが進む
・壇の浦の戦いで平氏が滅亡。しかし、この戦いで活躍した源義経が兄・頼朝に恨まれて殺される

となっています。

 

また、平家物語の書き出しは、「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。」で始まっています。

これは、この世は常に変わりゆくという「諸行無常」と、どんな人も必ず衰えるという「盛者必衰」を表しています。

平安時代~鎌倉時代は時の権力者が次々と変わっていったことが、この考えの背景にあるのです。

 

たま吉
平氏の栄華から滅亡までを書いた物語なんだニャー

 

 

イ 琵琶法師はどんな人物?

→平安時代中期から出てきた琵琶を弾く盲目の僧

 

平家物語を語る上で欠かせないのが「琵琶法師」です。

琵琶法師とは、人の名前ではなく、琵琶という楽器を街中で弾く目が見えないの僧たちのことを指します。(目が見える僧もいたそうです。)

彼らは平家物語をベースに曲をつけ、琵琶を弾きながら平家物語を話し、伝えていきました。

 

モモ先生
曲に合わせながら話をしていたのですね。

 

 

「平家物語」のあらすじ・原文・品詞分解・現代語訳は?

 

 

たま吉
「平家物語」の文章の現代語訳や品詞分解を知りたいニャー
モモ先生
ここでは「平家物語」の主な文章の現代語訳や品詞分解を紹介しているサイトを紹介しますよ。

 

 

ここでは高校の古文の教科書によく出てくる「平家物語」の作品のあらすじ・原文・品詞分解・現代語訳についてみていきます。(教科書ガイドには品詞分解・現代語訳・あらすじなどが詳しく書かれていますのでこちらもおすすめです。)

 

 


*教科書は高校によって違いますので、今学校で使っている教科書のガイドを買うようにしてください。 

 

 

なお、古文の定期テストで高得点を取るには、

・古文単語を覚える
・古典文法をマスターする
・下で紹介する解説サイトや教科書ガイドなどで話のあらすじをつかむ

といったことをしていくことが必要になってきます。

 

モモ先生
古文単語や古典文法などの知識をしっかりと固めるようにしましょう。

 

 

ア「平家物語」の現代語訳・品詞分解①(祇園精舎)

→あまりにも有名な文から平家物語は始まる

 

平家物語は「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。」という文から始まります。

勢い盛んな者(平氏)も必ず衰えるという意味です。

平清盛のときに平氏は絶頂期を迎えますが、子孫たちの世代になると源氏によって滅ぼされるという流れでこの物語は展開されていきます。

 

「祇園精舎」の現代語訳・品詞分解「祇園精舎」のYouTube解説動画

 

たま吉
世の中のものはいつまでも力があるとは限らないんだニャー

 

 

イ「平家物語」の現代語訳・品詞分解②(忠度の都落ち)

→物語の後半は平氏が落ちぶれる様について書かれている

 

平家物語の前半では、平清盛が太政大臣になる、都を福原に移す、血のつながった孫を天皇にするなどして平氏の絶頂期を築いた場面が中心に書かれています。

しかし、清盛が病気で死ぬと、少しずつ平氏の力は衰えていきます。

源頼朝を中心とする反平氏の力が強まり、清盛の一族は徐々に追い詰められていきます。

そんな中、清盛の弟である忠度は自分の最期を知ったのか、和歌の師匠である藤原俊成のところに行きます。

そこでは、「私はもうすぐ死にます。そこで今まで考えて詠んだ和歌をまとめた巻物をあなたにお渡しします。この中でいい歌があれば和歌集に載せてください。」と頼みます。

俊成はその意を汲んで、「きっと和歌集に載せましょう」と言いながら涙を流します。

その言葉を聞いて、忠度は「これでもう悔いはない。ではさようなら。」と言って師匠と永遠の別れをしたのです。

 

「忠度の都落ち」の現代語訳・品詞分解「忠度の都落ち」のYouTube解説動画

 

モモ先生
自分の死を悟った忠度は後悔のないように師匠に後を託したんですね。

 

 

 

 

ウ「平家物語」の現代語訳・品詞分解③(木曽殿の最期)

→義仲と兼平の深い絆について書かれている

 

木曽義仲は源頼朝のいとこで、平氏打倒の際に中心的な活躍をしていました。

そして京都に入った後は朝廷から位が与えられるも、朝廷内での立ち振る舞いや行動が「粗野な人物」として疎まれてしまいます。

また、後白河法皇や頼朝とも仲が悪くなったり、朝廷のことに口を出したりといったことから、次第に法皇に疎まれ、ついには義仲追討命令が出されてしまいました。

その結果、義仲は範頼(頼朝の弟)・義経軍に追い詰められてしまうのです。

「木曽殿の最期」では、義仲と家来の今井兼平の2人しか味方がいなくなってしまう場面です。

兼平は主君のために奮闘している間に、義仲は馬に乗って逃げていきます。

しかし、途中で田んぼに馬ごと沈んでしまい、そこから抜け出そうとしている間に源氏軍にやられてしまいます。

そしてそれを知った兼平は自害して終わります。

 

「木曽殿の最期」の現代語訳・品詞分解「木曽殿の最期」のYouTube解説動画

 

たま吉
義仲は最期はあっけなく終わってしまうんだニャー

 

 

エ「平家物語」の現代語訳・品詞分解④(能登殿の最期)

→物語の後半は平氏が落ちぶれる様について書かれている

 

平氏は壇ノ浦の戦いで源氏に完全に敗北します。

そしてこの戦いでは能登殿(平教経・平清盛の弟の息子)の最期について書かれている場面です。

能登殿は平家一門の中でも最も武勇の誉れ高い武将で、死ぬ間際まで敵将の義経を追い回すなどの人物でした。

その人でも平氏の滅亡を悟り、自ら海に身を投げるシーンがあります。

この戦いでは、安徳天皇や清盛の一族、家来など、多くの人が入水をします。

また、生きていた人ものちに捕まっています。

こうして、平氏の力は完全に失われていったのです。

 

「能登殿の最期」の現代語訳・品詞分解「能登殿の最期」のYouTube解説動画

 

モモ先生
物語の後半では平氏の没落ぶりが書かれていますよ。

 

 

 

 

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