土佐日記の現代語訳・品詞分解<門出・帰京・羽根>

 

 

たま吉
「土佐日記」の現代語訳と品詞分解についてニャー

 

と思っている高校生のみなさん!

今回は「土佐日記の現代語訳・品詞分解<門出・帰京・羽根>」についてみていきますよ。

 

 

土佐日記の品詞分解・現代語訳

 

 

✓内容

「土佐日記の現代語訳や品詞分解」について知りたい高校生や浪人生向けの記事です。

 

✓対象となる人

「土佐日記」が古文の定期テスト範囲になる高校生

 

✓記事を書いた人 

西井佑一(にしいゆういち) 愛知県豊橋市の個別指導塾で10年以上指導してきた教室長

 

 

 

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「土佐日記」の内容・登場人物は?

【動画】「とよはし練成塾」塾長が話す!定期テスト古文のおすすめ勉強法は?

 

 

たま吉
「土佐日記」はどんな内容の話なのかニャー?
モモ先生
ここでは「土佐日記」がどんな話なのかについて説明しますよ。

 

 

ア「土佐日記」の内容は?

→紀貫之が土佐から京都に帰るまでの55日間の旅日記

 

土佐日記とは、作者の紀貫之(きのつらゆき)が土佐から京都に戻るまでの二か月の間の話を日記にしたものです。

紀貫之は任地であった土佐で娘を亡くしています。

その娘に対する悲哀の気持ちが所々描写されているのが特徴です。

なお、土佐日記の特徴としては、

・女性になったつもりで平仮名で書いている(当時、男性は漢字で書くのが普通であったため。)
・「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」という出だしから始まる
・ユーモアたっぷりの文章の中に、娘を失った悲しみを表現している

となっています。

 

たま吉
55日間毎日何があったかが詳しく書かれているニャー

 

 

イ 紀貫之はどんな人物?

→和歌を極めることで紀家を再興しようとした人物

 

次に「土佐日記」の作者である、紀貫之がどんな人物かについてみていきます。

紀貫之の一家は名門でした。

しかし、この頃は藤原氏が朝廷内で力をつけていたため、紀貫之の出世の見込みはほぼありませんでした。

そこで歌人となった貫之は、歌を極めることで家を再興しようとしました。

醍醐天皇の頃には、古今和歌集の編集に携わりました。

また、その後、土佐に赴任し、帰京後に土佐日記を書きました。

出世には恵まれず、945年に亡くなりました。

 

モモ先生
紀貫之はかな文字で書くことで自分の心理や想いを正確に表現したかったとされていますよ。

 

 

「土佐日記」のあらすじ・原文・品詞分解・現代語訳は?

 

 

たま吉
「土佐日記」の文章の現代語訳や品詞分解を知りたいニャー
モモ先生
ここでは「土佐日記」の主な文章の現代語訳や品詞分解を紹介しているサイトを紹介しますよ。

 

 

ここでは高校の古文の教科書によく出てくる「土佐日記」の作品のあらすじ・原文・品詞分解・現代語訳についてみていきます。(教科書ガイドには品詞分解・現代語訳・あらすじなどが詳しく書かれていますのでこちらもおすすめです。)

 

 


*教科書は高校によって違いますので、今学校で使っている教科書のガイドを買うようにしてください。 

 

 

なお、古文の定期テストで高得点を取るには、

・古文単語を覚える
・古典文法をマスターする
・下で紹介する解説サイトや教科書ガイドなどで話のあらすじをつかむ

といったことをしていくことが必要になってきます。

 

 

モモ先生
古文単語や古典文法などの知識をしっかりと固めるようにしましょう。

 

 

ア「土佐日記」の現代語訳・品詞分解①(門出・馬のはなむけ)

→土佐日記はこの文章から始まる

 

土佐日記は「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」という文章から始まります。

これは、「男の人が書くと聞いている日記というものを、女の私も試しに書いてみようと思って書くのです。」という意味です。

この当時、日記は男性が書くものでしかも漢文で書くのが一般的でした。

しかし、中国の言葉である漢字では日本人の心や考え方を正確に伝えることができないと考えた貫之は、ひらがなを使って自由に思いを表現しようと思いました。

そのため、この日記はあくまで前国司に仕える侍女の立場で書かれています。(ただし、所々に男っぽさがどうしても出てしまっていますが。)

 

「馬のはなむけ(門出)」の現代語訳・品詞分解「馬のはなむけ(門出)」のYouTube解説動画

 

たま吉
貫之は当時女性が使っていたひらがなで文章を書こうとしたんだニャー

 

 

イ「土佐日記」の現代語訳・品詞分解②(羽根といふ所)

→早く京都に帰りたいという思いが募っている場面

 

貫之一行は船旅の途中で羽根という所に着きます。

そこでは幼い子供が「羽根という所は鳥の羽のようなのかしら」と言います。

そしてその後に女の子が「ここが『羽根』という場所なら、鳥の羽で飛ぶように早く京都に帰りたい」という内容の和歌を詠みます。

また、この文の後半は亡き娘のことを思い出す様子が書かれています。

 

「羽根といふ所」の現代語訳・品詞分解「羽根といふ所」のYouTube解説動画

 

モモ先生
当時は何十日もかけて船で移動していたのですよ。

 

 

 

 

ウ「土佐日記」の現代語訳・品詞分解③(阿倍仲麻呂)

→船から見る月を見て、阿倍仲麻呂を思い出した

 

船旅の途中、夜になると海から月が出てきました。

貫之は空に浮かぶ月を見て、ふと奈良時代に活躍した阿倍仲麻呂のことを思い出します。

「自分たちの都への思いと仲麻呂の都への思いは時期は違えど同じ思いであるはずだ。」貫之はこう考えていたのかもしれません。

 

「阿倍仲麻呂」の現代語訳・品詞分解「阿倍仲麻呂」のYouTube解説動画

 

たま吉
土佐日記は和歌がたくさん出てくるニャー

 

 

エ「土佐日記」の現代語訳・品詞分解④(忘れ貝)

→所々で亡き娘を思い出す場面が出てくる

 

船旅の途中のとある浜で美しい貝や石がたくさんありました。

それを見て、かつて土佐の浜辺で無邪気に遊んでいた幼い娘のことを思い出した場面です。

 

「忘れ貝」の現代語訳・品詞分解「忘れ貝」のYouTube解説動画

 

モモ先生
貫之は娘のことをどうしても忘れることができなかったのですね。

 

 

 

 

オ「土佐日記」の現代語訳・品詞分解⑤(帰京)

→無事に京都に帰ると家はすっかり荒れ果てていた

 

四国の高知から55日間かけてようやく貫之一行は京都の自宅に帰ることができました。

しかし、5年ぶりに家に帰ってみると、家や庭は荒れ果てていました。

ただ、その中には新しく生えてきた小松があり、それを見て貫之夫婦は幼くして亡くなった娘のことを思い出します。

そうして貫之の日記は終わりました。

 

「帰京」の現代語訳・品詞分解「帰京」のYouTube解説動画

 

モモ先生
せっかく京都に帰っても複雑な思いを持っていたのですね。

 

 

 

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