と思っている高校生のみなさん!
今回は「方丈記の品詞分解と現代語訳で定期テストの高得点を狙う」についてみていきますよ。
✓内容
✓対象となる人
✓記事を書いた人
「方丈記」の内容は?
【動画】「とよはし練成塾」塾長が話す!定期テスト古文のおすすめ勉強法は?
ア「方丈記」の内容は?
→世の中の無常観について書いた随筆
方丈記とは、鴨長明が書いた随筆(自分の考えなどをありのままに書いた文章)で鎌倉時代にできた作品です。(清少納言の「枕草子」、兼好法師の「徒然草」とともに日本の三大随筆の一つとされています。)
方丈記は世の中の無常観を表した作品です。(無常観とは「世の全てのものは常に移り変わり、いつまでも同じものは無い」という考えです。)
鴨長明が生きていた時代は、貴族から平氏、そして源氏へと権力者が目まぐるしく変わっていく時代でした。
また、この時期は釈迦の入滅後にその教えが徐々に忘れられ、やがて廃れる時代がやってくるという末法思想の考えが広がった時期でもありました。
そのため、鴨長明が生きていた時代は、世の中の価値観がガラッと変わり、無常観を感じやすかった時期だといえます。
そして方丈記は大きく2つの話の内容に分かれています。
それは、
・郊外の草庵で悠々自適に暮らしている様子
の2つです。
物語前半で長明の不幸な人生に書かれ、それを踏まえて物語後半の質素な生活につながっていくのです。
イ 鴨長明はどんな人物?
→師匠の下で俳諧を学び、その後全国各地に旅をした人物
次に「方丈記」の作者である、鴨長明がどんな人物かについてみていきます。
鴨長明は京都の下鴨神社の神官、鴨長継の次男として生まれました。
幼いころは比較的裕福な暮らしをしていましたが、18歳の頃に父が亡くなってしまい、そこからは不遇な時代が続きます。
しかし、彼は優れた芸術的才能があったため、和歌と琵琶を学び才能を磨いていきます。
歌合への参加、千載和歌集への採用など、徐々に長明の和歌は評価されていきました。
その後、出世を親族に邪魔されたこともあって、長明は出家します。
その後質素な方丈庵での暮らしをはじめ、方丈記の執筆に繋がっていったのです。
「方丈記」の品詞分解・現代語訳は?
ここでは高校の古文の教科書によく出てくる「方丈記」の作品のあらすじ・原文・品詞分解・現代語訳についてみていきます。(教科書ガイドには品詞分解・現代語訳・あらすじなどが詳しく書かれていますのでこちらもおすすめです。)
*教科書は高校によって違いますので、今学校で使っている教科書のガイドを買うようにしてください。
なお、古文の定期テストで高得点を取るには、
・古典文法をマスターする
・下で紹介する解説サイトや教科書ガイドなどで話のあらすじをつかむ
といったことをしていくことが必要になってきます。
ア 行く川の流れ
→方丈記はこの文章から始まる
方丈記は「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」という文章から始まります。
私たちは未来永劫、権力を持っているわけではなく、どの人もやがては死んでしまいます。
また、どんなに立派な建物を持っていたとしても、地震や火事があればあっという間に崩壊してしまいます。
そのような様子を長明は水の流れや水の泡に例えたのがこの文章です。
河の水の流れは止まらずに、しかも常に前に進んでいます。
そして、水の泡も留まることはせずに、浮かんでは消え、元の形を保つことはしません。
このように長明は「無常」の真理を突き詰めることに生涯を捧げたのです。
「行く河の流れ」の現代語訳・品詞分解 | 「行く河の流れ」のYouTube解説動画 |
イ 安元の大火
→方丈記の前半は火事・地震・飢饉の様子などが克明に書かれている
方丈記の前半は、
・治承(じしょう)の竜巻
・福原京に移転→京都は荒れ果てる
・養和(ようわ)の飢饉
・元暦(げんりゃく)の大震災
といったように次々に災害が起こりました。
その中の「安元の大火」では、1177年の4月末の夜に京都の都で起きた大火事でした。
この火事で朱雀門や大極殿、大学寮、多くの民家は燃え、人々や牛馬などが息を絶えました。
その時の炎が燃え上がる様子や建物が焼ける様子などを克明に書いたのが、この「安元の大火」になります。
長明はこの火事をはじめ、様々な災害から、「都に立派な建物を建てても火事で燃えたり、地震で崩壊するから意味がない」と思うようになりました。
「安元の大火」の現代語訳・品詞分解 | 「安元の大火」のYouTube解説動画 |
ウ 養和の飢饉
→飢餓状態になり他人への思いやりや公共心などがなくなっていった
養和の飢饉(1181~82)については筆者は「記憶があいまい」と言っています。
ただ、これはあまりにも長い期間人々が苦しい生活をし、それを目の当たりにしたのでおそらくこの出来事を「思い出したくはない」と思われます。
春と夏に雨が降らない、秋と冬に台風や洪水に見舞われるなど多くの天災が続き、穀物が全く実りませんでした。
そうなると、人々は食べるものがなくなり、お宝を食料と交換して飢えをしのごうとします。
しかし、こことぞばかり農民からは安い値段で買い叩かれ、苦しい思いをします。
京都では多くの人が飢え死に、特に賀茂の河原では絶好の死体置き場になりました。
生きるか死ぬかの中では人々にはもはや相手への思いやりや自分を律する公共心などはなく、本能のまま生きるのでした。
「養和の飢饉」の現代語訳・品詞分解 | 「養和の飢饉」のYouTube解説動画 |
エ 日野山の閑居
→出家をした長明の質素な様子が具体的に書かれている
50歳になった長明は出家をしました。
しかし、何の悟りを得ることなく5年が過ぎてしまいました。
60歳という年齢に近づき、「死」が刻々と迫る中で、方丈(約4畳半)の広さの家を新たに建てることになりました。
そこには寝るスペースと阿弥陀の絵像を置くスペース、琵琶や琴を置くスペースの3つしかありませんでした。
さらに長明は春夏秋冬の季節を感じられる理想的な場所に住んでいることや、一人でいるから念仏に心が入らないときは途中でやめてもいいといったことも主張しています。
「日野山の閑居」の現代語訳・品詞分解 | 「日野山の閑居」のYouTube解説動画 |
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