奥の細道の現代語訳・品詞分解<序文・平泉・立石寺・大垣>

 

 

たま吉
「奥の細道」の現代語訳と品詞分解についてニャー

 

と思っている高校生のみなさん!

今回は「奥の細道の現代語訳・品詞分解<序文・平泉・立石寺・大垣>」についてみていきますよ。

 

 

奥の細道の品詞分解・現代語訳

 

 

✓内容

「奥の細道の現代語訳や品詞分解」について知りたい高校生や浪人生向けの記事です。

 

✓対象となる人

「奥の細道」が古文の定期テスト範囲になる高校生

 

✓記事を書いた人 

西井佑一(にしいゆういち) 愛知県豊橋市の個別指導塾で10年以上指導してきた教室長

 

 

 

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「奥の細道」の内容・登場人物は?

【動画】「とよはし練成塾」塾長が話す!定期テスト古文のおすすめ勉強法は?

 

 

たま吉
「奥の細道」はどんな内容の話なのかニャー?
モモ先生
ここでは「奥の細道」がどんな話なのかについて説明しますよ。

 

 

ア「奥の細道」の内容は?

→松尾芭蕉の約五か月間にわたる旅日記

 

奥の細道とは、作者の松尾芭蕉が江戸時代に江戸を出発し、東北地方を通過し、大垣に着き、最終的に伊勢参拝に向けて大垣を出発するまでの約5か月の紀行文です。

なお、奥の細道の特徴としては、

・作品中に約63句ある
・全ての話が真実というわけではない(一部フィクションもある)
・杜甫や李白、西行などの影響を受けている

となっています。

 

たま吉
各地を訪れた感想と俳句がセットになっているんだニャー

 

 

イ 松尾芭蕉はどんな人物?

→師匠の下で俳諧を学び、その後全国各地に旅をした人物

 

次に「奥の細道」の作者である松尾芭蕉がどんな人物かについてみていきます。

松尾芭蕉は伊賀国(今の三重県)で生まれ、19歳から俳句を作りだしました。

最初は師匠の元で俳句を学んでいましたが、師匠の死後に江戸に向かい本格的に俳諧活動を始めました。

その後弟子とともに幾度か旅をし、その都度書物にまとめていきました。(「奥の細道」「野ざらし紀行」など)

 

ただ、「奥の細道」の場合は、45歳の芭蕉が150日で2,400キロ歩いたことになっています。

これはあまりにも歩くスピードが速すぎるということから、松尾芭蕉は実は忍者で江戸幕府のスパイとして各藩の様子を調べていたのでは?という説もあります。

 

モモ先生
芭蕉は日本のさまざまな場所をひたすら歩いて旅行をしましたよ。

 

 

 

 

ウ 松尾芭蕉が残した有名な俳句は?

→有名な句が多い

 

ここでは松尾芭蕉が残した有名な俳句についてみていきます。

 

①「夏草や兵どもが夢の跡」

・今見れば夏草が生い茂るばかりだが、ここは昔、義経たちの武士が功名を夢みて戦った跡である。そんな功名も一場の夢と消えて、ただ夏草が茂っている。

 

②「五月雨の降り残してや光堂」

・年々降り続いて、全ての物を朽ちさせてきた五月雨も、この光堂だけは降り残したのだろうか。その名のように、数百年を経た今も光り輝いていることだ。

 

③「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

・なんて静かなのだろう。石にしみ入るように蝉が鳴いている。

 

④「五月雨をあつめて早し最上川」

・梅雨の雨が最上川へと流れ込んで水かさが増し、危険なほどに流れがはやくなっていることだ

 

⑤「荒海や佐渡によこたふ天河」

・暗く荒れ狂う日本海のむこうには佐渡島が見える。空を仰ぎ見ると、美しい天の川が佐渡の方へと大きく横たわっている。

 

たま吉
「松島やああ松島や松島や」は芭蕉の句ではないから注意だニャー

 

 

「奥の細道」のあらすじ・原文・品詞分解・現代語訳は?

 

 

たま吉
「奥の細道」の文章の現代語訳や品詞分解を知りたいニャー
モモ先生
ここでは「奥の細道」の主な文章の現代語訳や品詞分解を紹介しているサイトを紹介しますよ。

 

 

ここでは高校の古文の教科書によく出てくる「奥の細道」の作品のあらすじ・原文・品詞分解・現代語訳についてみていきます。(教科書ガイドには品詞分解・現代語訳・あらすじなどが詳しく書かれていますのでこちらもおすすめです。)

 

 


*教科書は高校によって違いますので、今学校で使っている教科書のガイドを買うようにしてください。 

 

 

なお、古文の定期テストで高得点を取るには、

・古文単語を覚える
・古典文法をマスターする
・下で紹介する解説サイトや教科書ガイドなどで話のあらすじをつかむ

といったことをしていくことが必要になってきます。

 

モモ先生
古文単語や古典文法などの知識をしっかりと固めるようにしましょう。

 

 

ア「奥の細道」の現代語訳・品詞分解①(序文・旅立ち)

→奥の細道はこの文章から始まる

 

奥の細道は、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」という文から始まります。

最初の序文で「人生とは旅である」という人生観を芭蕉は著します。

旅立つ前の年の秋に、隅田川のほとりの小家に戻った芭蕉はそこで年を越します。

しかし、年が明けるとふと、「東北地方に旅をしたい」と思うようになり、さっそく旅行の準備をします。

そして家を売り払った芭蕉は、再び旅立つのです。

 

「序文(漂泊の思ひ)」の現代語訳・品詞分解「序文(漂泊の思ひ)」のYouTube解説動画

 

たま吉
芭蕉は人生の中で何回も旅をしているんだニャー

 

 

イ「奥の細道」の現代語訳・品詞分解②(平泉)

→今回一番行きたかった平泉にとうとう辿り着いた

 

芭蕉と弟子の曾良は東京を出発し、途中さまざまな場所に立ち寄ります。

そして約一か月半かかってようやく平泉(岩手県)に到着しました。

芭蕉の旅の最大の目的は、平泉で亡くなった源義経と奥州藤原氏の霊を慰めることにありました。

しかし、平泉で栄華を極めた奥州藤原氏の住んでいた跡はもはやなく、そこに時の流れを感じざるにはいられませんでした。

また、中尊寺の堂も風や霜で傷んでいましたが、囲いをつくって風や霜を防ぐ配慮がされていたため、当面は記念物として残っていけそうだと安心しました。

 

「平泉」の現代語訳・品詞分解「平泉」のYouTube解説動画

 

モモ先生
昔栄えていた場所も時間が過ぎると何もなくなってしまうものですね。

 

 

 

 

ウ「奥の細道」の現代語訳・品詞分解③(立石寺)

→岩を登るとそこには美しい景色があった

 

平泉を去った芭蕉たちは南下をし、山形藩にある立石寺に向かいます。

ただ、そのお寺は山の上にあるため、ここまで長い旅をして、かつ年老いている芭蕉には結構つらいものでした。

苦労して岩を登り、ようやく本堂を見ることができました。

ひっそりと静まり返ったその風景に芭蕉は心を打たれ、そこで「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだのでした。

 

「立石寺」の現代語訳・品詞分解「立石寺」のYouTube解説動画

 

たま吉
芭蕉はとても体力があるんだニャー

 

 

エ「奥の細道」の現代語訳・品詞分解④(大垣)

→無事にゴールするも、すぐにまた旅に出ていってしまう

 

約五カ月の旅をして、ようやく最終目的地である大垣(岐阜県)に到着します。

そこでは途中で病気のため離脱した曾良も芭蕉の帰りを待っていました。

多くの人に歓迎され、ねぎらってもらった芭蕉ですが、着いてすぐに「今度は伊勢神宮の遷宮を拝観しよう」と思い旅立っていきました。

芭蕉の旅はこれで終わりではなかったのです。

 

「大垣」の現代語訳・品詞分解

 

モモ先生
芭蕉の旅はまだまだ終わりではありませんよ。

 

 

 

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